うちのお寺の地域(檀信徒さん)には、そのお家の先亡のご命日に合わせてご自宅へお参りする習慣があります。
お参りをして世間話をして帰るだけでもたいへん意味深いのです。お勤めの清々しさ、これはしない人には分かりません。
門口から仏間へ。世辞を述べている間にも、その家人のご様子やご体調が窺えるのです。
しかし、それだけで帰ってはもったいないと思い、元祖大師(法然上人)の御法語集を拝読、前・後編の全62章を読了し、今度は『法然上人行状絵図』というお伝記の詞書を少しずつ章切りして一緒に読んで頂いています。
40章まで進んで来て、元祖さまのご一代も終わり、お弟子さまとのエピソードや、次代の浄土宗の歴史にまで話は進んでいます。
裏面に印刷した【語句調べ】と拙い【現代語訳】も一緒に見てもらい、教えや問題点について共有してもらえるように解説を加えていますが、お勤めからその話まで含めると1軒につき1時間は懸かっています。
今や習慣化し、檀信徒の皆さまも仕方なしにお付き合いをくださっていると思います。長い話にお疲れを頂くことだと思います。
ただ、そのお言葉を自分のこととして読んでくださる方とそうでない方とでは、まったく反応も受け止め方も違うのです。
いつも自分に引き当てて法語を読んでくださっている方は、何年も続ける中で信仰を深めて行かれる様子が分かります。
そして、そのお伴をする私が、そのお檀家さんの姿と言葉に教え導いて頂いているんだと気づくのです。
ありがたい時間です。
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