【解説】
善導大師の御文を改めて拝読すること三度。
『彼の仏の願に順ずるが故に・・・』と呟かれたかどうかは分かりませんが、「そうか、それで良いのだなぁ」と腑に落とされた瞬間があったに違いありません。
一切経を五度も読まれ、これはと思うものはさらに三度目を通されて、何度も拝読され念仏もされていた法然上人が、「これで良いのだ」と思われた心境は、どういったものであったでしょうか。私が極楽に往生できた時に、もったいなくも上人にお会いできたら一番に伺いたい事柄です。
雷に打たれるような衝撃をもって一度に信を転換されたのではなく、少しずつ岩に水が染み入るような感触をもって徐々に信を深めていかれたのではないかと想像します。
慎重に慎重をもって、それで良いのかを検証されていたとも思います。
「順彼仏願故」の宗をお建てくだされ、下山後も生涯を懸けて信と行を深め、検証を続けてゆかれた祖師の御姿を尊く、ありがたく頂戴したいと思います。
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