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古典臨書

最終更新: 5月23日

 大学の学部卒業後、大学院に入るまでのブランク1年間に、書を習いに行ったことがあります。

 尊敬するその先生の教えは、決して手本を書かないというショッキングなものでした。

自分で古典を見、自分でその筆遣いを探求していく、それこそが本当の書を学ぶ道だと教えてくださいました。


 師匠が自分の癖を弟子に押しつける、そういう流派づくりの書はしないということです。その信念の背景には、日展やら何やら競書で権力構造・集金システムを作り上げる、書道界が抱える闇の部分を嫌うがゆえの理由があって、すぐに納得できるものでした。

――引いては芸術の世界が、いやこの世が娑婆(苦しみの世界)である限り。儲け主義者のはびこる所は学界であれ、業界であれ、そういう闇を抱えていると思います。宗教界でさえ(こそ)。それはともかく。


 わずか一年足らずしか通わなかった上に、音信不通になりがちな無礼者の私にも、毎月研究会の会報や書展(誰でも出せて誰でも出せない古典臨書展)の案内を漏らさず送ってくださいます。

 その会報には先生の言葉がつづられていて、世事や出会う事柄を書道に結びつけて、自らの学ぶ姿勢を示し続けてくださっています。

 今日もその会報398号をうれしく拝読したのでした。私は書の世界のことは無知ですが、純粋に書を学ぶことに徹する先生は、とても孤高の人。名誉やお金とは無縁で歩んでおられるはずです。その文章に毎回、力を頂くのです。



 学びたければ、直接おおもとにある教えの本質・源を尋ねるべき。最後は自分で学びなさいという指導は、大学院時代にお世話になった浄土宗学の権威である教授も同じことを教えてくださいました。

 講義の最後に決まり文句のように、「最後は自分で浄土三部経を読むしかない。元祖(法然)さまのことを知りたければ自分で文献に当たるしかない。答えはそこにあるから」と仰っていました。


 他人の説や名前を笠に着ても、それはその人をなぞっただけ。自分のものではない。


 (今日はここで飛躍しますが)

 だからこそ私はお経を、法然上人のお言葉を、檀家さんに一緒に読んで頂くようにしています。直に触れてもらう、自分で気づいてもらう、それが大事だと思うのです。

 それは、書道の先生に教えてもらったことに通じています。



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