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諸堂・寺宝

御本尊 阿弥陀如来坐像

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平安時代(10世紀ごろ)

延命地蔵菩薩立像

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平安時代(11世紀ごろ)

国・重要文化財(旧国宝)

みそぎ観音菩薩立像(十一面観音)

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その昔、當麻郷の男が近江国で巨大な霊木の噂を聞きつけ、観音像の造立を発願して運搬を試みました。
故郷を目前にして竹内峠の険しさに阻まれ、やむなく梢を切り落として通すことができましたが、その余材で彫ったのがこの像といわれ、本体の方は、後に長谷寺の観音様となられました。

涅槃図

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お釈迦さま最期の様子が、非常に繊細なタッチで、彩色豊かに画かれている名作です。
江戸時代末期の安政2年(1855)に修復した記録がありましたが、つい最近、平成31年(2019)2月に表装修理しました。

本堂

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開創当初の寛文4年(1664)は、前身の御堂をそのまま使用したと思われます。
60年ほど経って第5世浄誉上人の時代、享保10年(1725)7月から2年ほどかけて境内を広げた上で再建されました。
以来約300年、数度の改修を経て現在に至っています。

観音堂

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かつて竹内の字・茶屋ノ前にあった「未来寺」の御本尊です。
第4世喚誉上人の享保八年(1723)に同寺を吸収する形で御堂ごと移されました。
現在の御堂は、第18世諒誉上人の明治14年(1881)に再建したものです。

薬師堂

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享保10年(1725)、当寺の大檀那・井村氏は、本堂再建の為に土地を提供され、同時に念持仏であった薬師如来を寄進して、広く人々の祭祀に託したのでした。
昔から、乳の出ないお母さんに乳を授けてくださるとの信仰があります。

梵鐘(鐘楼)

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寛延3年(1750)10月、河内の名匠・大谷相模掾藤原正次による製作で、鋳造と同時に鐘楼が建立されており、甍には第9世現誉上人の名が刻まれています。

​ 戦時中の昭和17年(1942)の「仏具回収令」で、金物である寺院の仏具・梵鐘も強制的に供出されました。
西光院の梵鐘も憂き目に遭いましたが、奇跡的に残り、復員して間もない第24世願誉上人と当時の総代様たちが奈良市内まで引き取りに赴いたそうです。
材質を調べた時のドリルの傷跡が2ヶ所、痛ましく又悲しい時代の証言として残っています。

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