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第6章「釈迦堂参籠と南都遊学」

更新日:2022年7月8日




【解説】

 法然上人24歳の時、一度比叡山を降りられ、先ずもって嵯峨の釈迦堂を訪ねられます。

「生身(しょうしん)の釈迦」として尊崇を集めているそのお釈迦さまに対面し、教えを請う思いでいらしたことでしょう。

 また同寺は、当時では珍しく民衆に至るまで境内に参詣を許された珍しいお堂だったのです。そこで、様々な階層の人々が一心にお釈迦さまに救いを求める姿に衝撃を受けられたことは想像に難くありません。

 

 その後、各宗の碩学を訪ね歩かれ、自らの理解を確かめるとともに、さてこの教えに拠って〝和尚さま、あなたは悟れますか?〟の問い掛けをなさったはずです。

 聞かれた学匠たちは、法然上人を認め称讃して(敬遠して)帰すしか術がなかったのです。いかに誉めそやしていても、それは体のいい門前払いだったのです。

 上人は、その讃辞が苦々しいものでしかなかったのは、さとりへの道しるべが見当たらず、旅の成果もなく、孤独な求道を続けるしかないのが悲しかったからです。

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